- 異変に気づいたらすぐに119番して救急車を呼ぼう
- 介護は自分との戦い。日々冷静に、人に頼ること。
- 病気にならないように、日頃から健康に気をつける
- 健康に感謝、家族に感謝する
- 明日動けなくなるかもしれない。後悔のないようにいまやれることをやろう。

介護歴15年以上のプロ!?のじーちゃんです。このサイトでは在宅介護・老老介護の気づきやコツを書いています。

じーちゃんのノートを編集、ブログへのアップは娘の担当です。
妻が倒れてから、介護、家事になれるまでのことを書きました。介護生活の実態を格好つけずにブログに綴るのは自分のためです。忘れてしまう前に経験したことを残しておきたいのです。
健康でも病気を抱えていても、ひとりとして同じ人生はありません。みなさん、いまのご自分の状況に向き合い、できることをやってください。
人生において、気づくことがとても大事に思えます。

平成18年4月29日朝5時、妻の異変に気づく
異常な声で目が覚めました。この時の妻の姿を今でも忘れられません。となりの布団に寝ていた妻が布団をはぎ、おしっこを漏らし、苦しそうな顔をしています。
「どうした?」と妻の身体をさわってみると、左手と左足が動きません。すぐに119番して救急車を呼びました。
救急車に乗って救急隊員さんに「脳梗塞だと思うので、荏田の横浜脳外科へ連れて行ってください。」とお願いしました。
妻は数年前、脳内ヘルペスという病気を患っていて、死にそうになったことがあります。
脳梗塞となると今回はもう助からないかもしれないと覚悟はしていました。
集中治療室に運ばれ、うまく薬が効いて意識が戻り、一命をとりとめました。
右脳の血管がつまったので、左が麻痺しています。言葉も話せるし、わたしたちのこともわかる。利き手の右手が大丈夫だったのは救いでした。
リハビリ病棟へ移り、なんとか退院
リハビリ病棟では3ヶ月ほど入院しました。妻は毎日リハビリを頑張り、車椅子での移動、そして杖をついて歩けるようになりました。
リハビリ病棟にいられる期間は決まっているようです。病院にもよりますが、一定の期間をすぎると別の施設に移らなければならないようでした。退院して家に帰ることができて本当によかった。
入院中にケアマネジャーさんに来てもらい、介護生活に必要なこと手続きと準備です。妻の要介護認定は「要介護2」でした。(現在は要介護4です)
家でうまく生活できるようにいくつかリフォームをしました。リクライニングチェアと介護用ベッドはいいものを買いました。
- 門から玄関までの階段、トイレ、風呂場に手すりをつける
- お風呂用の介護椅子を注文
- リビングにリクライニングチェアを購入
- 布団から介護用ベッドへチェンジ
慣れない家事に挑戦
定年退職とほぼ同時に妻が倒れ、想像もしていなかった生活がはじまりました。いままでやったことのない家の中のこと、家事を自分で全部やらなければなりません。
はじめは息子家族と一緒に夕飯をいただいていましたが、数ヶ月お世話になった後、わたしたちは自立することにしました。
料理は包丁もにぎったことがないレベルです。食料品の買い物だってほとんど未経験。掃除、洗濯など、家事には終わりはないように感じます。
「全部妻がやってくれていたのか。パートにでて働いきながらだったから大変なこともあっただろう。子供もふたり、年子でバタバタしていたしなぁ。」
わたしの気分が落ちついている時は、こんな感謝な気持ちも出てきます。
しばらくしてなんとなく家事全般ができるようになると、料理するのが楽しくなってきました。
日本テレビ系列でやっている料理番組「3分クッキング」をみて、本を買ってきてつくってみたり、料理ノートもつけていました。
運動とリハビリ、定期検診
退院後、在宅介護がはじまって、家に帰ってきても運動、リハビリを続けなければなりません。運動していないと動けなくなってしまうからです。
家の中では杖をつかずに歩くことができました。
リビング→ダイニング→トイレ→寝室→リビング・・・とぐるっとつながっている間取りなので、何周もして歩く運動をします。

漫画雑誌を数冊重ねて、昇降運動もやっています。
夕方涼しい時間帯には外に出て、近所をぐるっと1週散歩します。ゆっくりゆっくり歩きます。近所の人にも会えます。
近くに住む甥っ子がお医者さまで、病院『こども元気!内科クリニック』をやっているので、内科からなんでも「かかりつけ医」として診ていただいています。
リハビリは病院に隣接している整形外科『北見整形外科』リハビリセンターにほぼ毎日通っています。
介護認定を受けているので医療費はかかりません!助かっています。
介護がはじまると誰でも落ち込こみます
介護生活がはじまって、1番印象に残っている出来事を書きます。わたしがイライラして思わず妻にきつく言ってしまったことです。
「言うこと聞かないと施設に入れちゃうよ。もう面倒みるの嫌だ。」
いままで泣いたことがなかった妻が、目を赤くして、大粒の涙を流しています。ずっとわたしを見て、なにかを訴えているように見えます。
はっとしてすぐに「ごめんね。今後絶対施設に入れるなんて言わないから。命がある限り自宅で在宅介護するから。俺のそばにずっといてもいいんだよ。」と話しました。
すると妻の涙がスーッととまりました。
落ち込みます。落ち込みの連続ですよね。人のお世話などしたことがないのに急にはじまった介護生活です。
イライラしますし、ついきつくあたってしまいます。ものすごく疲れますし、自分に腹がたったりします。無我夢中な日々ですが、ふとした時に感情が爆発してしまうのです。
今回の出来事が1番印象に残っている理由は「言うこと聞かないと施設に入れちゃうよ。」と言ってしまったからなんです。落ち込みましたし、情けなくなりました。
あれから15年
いま思い出してみると、苦しいこと、すこし楽しかったことなどいっぱいあります。毎日が必死で、介護生活はじまりの頃は先のことなど考えられませんでした。
介護生活がはじまったころは妻もわたしもまだ若く、今より動けていました。
わたしも趣味がゴルフなので、近くのゴルフ練習場へ通っていました。近くに住む娘のマンションへも遊びに行って小学生の孫と楽しく遊びます。
いまの妻の要介護認定は「要介護4」になり、症状が重くなっています。だんだんできていたことができなくなっていきます。
この話はまた徐々に書いていこうと思いますので、お付き合いくださいね。
まとめ
わたしは妻の介護のほとんどを自分ひとりでやってきました。強い精神があったからできてきました。これはわたしの場合で、みなさんにおすすめしません。本当に大変です。
もしも、介護生活を送ることになったら、1つでも多くのことを人に頼ってください。ケアマネジャーに相談したり、家族にもできるだけ協力してもらいましょう。
介護生活が突然はじまるかもしれないという嫌な可能性を、頭のすみに置いておく必要があります。日頃から家事ができているといいですね。夫婦がお互い健康だったら、円満な家庭が築けます。
大好きだったゴルフも家の前で素振りをするくらいになってしまいました。疲れて気力がなくなってしまったのです。
後悔のない人生を送ってください。健康なうちに、やりたいことはすぐにでもはじめて楽しみましょう。明日なにが起こるかわかりません。
なんだかみなさんを脅しているようでごめんなさい。
じーちゃんの介護生活をなるべくありのままお伝えして、なにかお役に立ててもらいたいです。

最後まで読んでくれて、ありがとうございます!
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